日系1世の孫が考えた”何を残しておきたいか”

今月、祖母が亡くなりました。87歳でした。

これをきっかけに考えたことがあったので書き留めておこうと思います。

このことを記事にするかどうかは迷いましたが、先日同期がシェアしていたこの動画を見て、書くことにしました。

11月20日に放送された「世界!ニッポンに行きたい人応援団」
ブラジルのアマゾン、トメアスで暮らす
1世のおじいちゃんが、63年ぶりに日本へ里帰りをします。初めて会う孫がいたり、生まれ故郷へお母さんの写真を探しに行ったりします。

 


 

私のおばあちゃんは29歳でブラジルへ来ました。今の私と同じ年ぐらい。

1959年、満州帰りの夫(私の祖父)5歳の息子(叔父)と1歳の娘(母)をつれて熊本から神戸へ。神戸から「あめりか丸」という船で2ヶ月かけてブラジルへやってきました。

そこから約30年後、日本で出稼ぎをしていた叔父に連れ戻される形で日本へ帰りました。

詳しく記事を読む「私のファミリーヒストリー」

 

派遣前訓練での1コマ

横浜での訓練終盤、講義名は忘れちゃったんだけど(水上さんすいません…) 私たちはある動画を見ました。

ブラジルにある老人ホームの映像。入居者である1世のおじいちゃん・おばあちゃんが「ブラジルに来てよかったです」とおっしゃってました。

それを見たとき、私はおじいちゃんたちの気持ちを全然知らないことに気づきました。

 

母の話や弟が書いた卒論(家族史)で彼らが何をしてきたかは知っていました。でも彼らが何を考え、どんな気持ちでブラジルでの30年を生きてきたかは知りませんでした。

2ヶ月間いろいろと勉強してきて、日系移民の歴史や心情を学んだ気になっていたけど、肝心な自分の家族のことを知らないことに気がついたのです。

孫としてとても申し訳ない気持ちになりました。

 

あのとき泣いていた私を見た人には「感動してるんだな〜」って思われてたかもしれないけど、ほんとはこういう理由でした。

 

 

伝えなかった理由

おじいちゃんおばあちゃんがブラジルでの話を孫たちにしたことはありませんでした。日本へ帰るとき、祖父はブラジルでの写真を持って帰ろうとしなかったと聞きました。

「戦争を経験した人は思い出したくないから話したがらない」と沖縄出身の友達が言っていました。戦時中の経験と移民の生活を比べるのはちょっと違うかもしれないけど、遠くもない気がします。

伝えなかったのは、伝えたくなかったから?

知らないままでいい、という考えだったんでしょうか。

 

私は今 日系コミュニティーで活動しています。ここのおばあちゃんたちは、私が日本から来たと知ると喜んでいろんな話をしてくれます。

こんな赤の他人によく話してくれるなぁと思ってたけど、他人だからこそ、第3者だからこそ話しやすい、というのもあることに気づきました。

 

もし祖父母が「辛い経験を孫には共有したくない」と考えていたなら、無理に引き出すこともないのかも。

 

 

自分だったらどうする?

私はまだ孫どころか子供もいません。(あ、結婚もしてません)

でも自分だったら 何を伝えて何を伝えないんだろう。そんなことをふと考えてしまいました。

 

生きていたときに(若いときに)何をして、どう思ったか、子供や孫に何を残していきたいのか。捉え方はそれぞれだし、今は全然思いつかないけど、残せる技術はいくらでもある現代です。

自分の気持ちを、言葉を、声を、写真を、映像を記録しておこうと思いました。

人の経験や考えを読んで悩みのヒントになるなら私の過去も、誰かの未来に役に立つはずです。

 

こんなふざけた話も含めてね。笑

 

 

最後に

出発前、ちょっとボケかけていたおじいちゃんに
「ブラジルに行ってくるよ〜」というと
「そうか、ブラジルかぁ。ブラジルはいいところやぞ〜」って言ってました。どれぐらい本気で言ってたのかはわかりませんが、言ってました。

 

あの時代に必死で生きた家族の気持ちなんて、2年いるだけじゃわかんないだろうけど、とにかく無事に帰ろう。日本に残してきたものがある。

 

 

この記事を書いてるとこんな歌を思い出したので載せておきます。

「お父さんの子守唄」とも呼ばれている曲で、弟の保育園で歌っていたんですが歌詞が好きです。

 

あなたは何を子供や孫に伝えたいですか?何を残したいですか?

 

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